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A Heart To Remember
ライター 掲載場所 掲載日 コラム |
:森 綾さん :MSN ジャーナル :2003年3月18日 :「30代の離婚」 |
B「沽券」にこだわる男たち |
MSN編集者: 離婚の原因は人それぞれ。でも、男にとっては「男の沽券」は、何を犠牲にしても、守らなければいけない牙城なのかもしれない。そんなところから、夫婦の隙間が広がって来るとは気づかないとしても…。 Mori Aya: ついさっき、女性誌のライターがうちにインテリアの取材に来て、ひとしきり本題とは関係ない、離婚についての話になった。 「森さんの離婚は、フィジカルな問題ですか、メンタルな問題ですか」 「全部、つながってませんか? いいことにしろ悪いことにしろ、どちらかがどちらに影響を与えるものでしょう。でも、最終的に決断したのは、メンタルな部分での絆が壊れたと感じたことが大きかったと思います。とりわけ、彼が拗ねちゃったことが大きかったですね」と私は答えた。 「拗ねちゃった?」 彼女は思わず笑いそうになって、それをかみ殺した顔をした。だが、そうとしか言いようがなかった。拗ねちゃったのである。 11年前、私は大阪でのすべての仕事のキャリアを捨てて、東京に嫁いできた。東京では一からの求職活動であった。フリーでライターをしようとは決めていた。 編集者だった夫はマンションのローン、光熱費を払ったうえで、私に食費とクリーニングやドラッグストア関係の生活費として数万円を渡してくれていた。世田谷区の住宅地で生活するには足りない額とも思えたが、平日の夜の食事は私一人分だったし、あとを自分で稼げばいいという算段だった。 大阪の実家の親は「奥さんが財布を預かるものなんじゃないの?」と驚いた。彼の親も同じことを言った。が、東京で働く同業の主婦たちに聞けば、ローンを2人で分け持っている人もいたし、私自身、会社員時代は自分の稼ぎをすっかり遣ってしまうタイプだったから、財布を預かる自信もなかった。 ライターとしての仕事は順調にもらえるようになっていった。必要経費にしろ、洋服代にしろ、自分が稼いで使えるお金はあっという間に生活費を上回った。 好きに服を着始めた私の隣で、夫は頑なに自分の洋服は買わなくなった。仕事柄、見栄えがよくないのはよくないと思い、私は彼の洋服を買ってあげるようになった。最初は素直に喜んでいた彼が、だんだん、不機嫌になり、そのことで口論になるようになった。 まるで子供が拗ねるようだと、私は思った。 私の実家の親が買ってくれるというときも同様だった。シャツ一枚に「男の沽券」を失うという彼の気持ちが私にはだんだんわからなくなっていった。 その傾向は、2年前、同じ職場で仕事をした頃から、もっと強くなっていった。夫のいる編集部で、夫以外の編集者と組んで仕事を始めた私は、評価されればされるほど、家庭での夫を失っていくことに気づいていった。その雑誌の仕事が半年近くたったとき、突然、その出版社の上層部から「同じ職場で夫婦で仕事をするな」というお達しがあった。 馬鹿馬鹿しい、と現場の多くの人は反論してくれたけれど、家族であるはずの当の夫は、私の味方ではなかった。ある上司から「君の将来のためにも、奥さんと一緒じゃないほうがいいと言われた」と、嬉々とした表情を隠せず語る彼に、心のなかで私は、ぷつん、と最後の糸を切った。 弁護してあげるとすれば、すでに一軒家を建て、ローンを抱えた彼にとって、それを立派に返すこと、老後の2人の生活を守ることが、夫としての務めだと思っていたのかもしれない。けれど、私にはそのとき、彼が隠しきれなかった嬉々とした表情に、やはり「男の沽券」のつまらなさを見てしまったのだ。 ごく仲のいい、共働きの人たちにこの話をしたとき、みんな口をそろえて言った。 「どちらの気持ちもわからなくないね。たとえ同業じゃなくても、相手の仕事が調子よくて、こっちが悪いと、なんともいえない気分だからね」。 男性にとって、仕事は「沽券」に直結するもののようだ。沽券→男としてのプライド→人間としての尊厳、というところにまで行ってしまう人も多いと思う。極論すれば、だから中年期に行き詰まって自殺までしてしまうおじさんも多いのだ。おばさんは…、あまり自分で死なないではないか。 仕事に充実していく妻に拗ねる夫。2人が夫婦での生活そのものに価値を見出せていれば、そんなばかげた問題は起こらないのだろうと思う。けれど、それぞれが自分の仕事にはまり、最優先にし始める30代には、よくある話なのかもしれないという気もする。 <<おわり>> −−−−−−− 直接記事へのリンク |